以前から行ってみたいと思っていた場所へ用事のついでに行って来ました。
父母ヶ浜(香川県)にて
思いの外、鏡ばりの写真を撮るのは難しいのだなぁと思っていたら、2、3組みのグループが波打ち際からかなり離れた場所でジャンプしたりポーズとったりしてるのを見て真似してみたら、ちょっとだけそれらしい写真が撮れました。
潮が引いてしまうと、水面が鏡のように反射する素敵な景色が消えてしまうのです。
なので、もっと時間に余裕を持って行かなきゃダメなんだと思います。
でもなんとか撮れた
いつも思いつきで動くので、私は詰めが甘いです。
帰り道にアレコレおもう
この日の帰りの出来事と身近な親たちの嘆きをまとめて想った事です。
親子って難しいと思う。信頼しあえる親子ってどのくらいいるのだろう?
思春期から成人へと、そしてその後も沢山の葛藤を親子で抱えてるように思う今日この頃です。
親だから・親なのに
親は「親だから」と言って繊細な子供の心を傷つけていても気づけない。
子どもは「親なのに」と言って未熟な親に「完璧」を期待して顔色を「観る」。
子供が大人になってからも、、、
そして大人になった頃から、、表面化してくる問題ってないですか?
人と人だから必ずパワーバランスが起こる。強い方は「踏み込む」。弱い方は「退いて黙る」。
それを過ぎると「キレる」か「ひきこもる」
愛があるのに、なぜかすれ違う
沢山の親子が愛情からなのか?執着からなのか?話し合えないで苦しんだり、断絶している。
愛がないわけじゃないのに。
愛情ってなんだろう?
「執着」と言う人もいる。
「愛」は全てを受容する事とも言う。
相手への欲求に執着するから
諍いになるのは相手を自分の思う様に変えようとするから。相手への「欲求」に執着するからではないかと思います。
執着は誰かのせいにしたら楽になれる?
「あ、嫌なの?」、「わかった!」と相手の意思を尊重するとどうでしょう?
受け入れて軽くなる
「自由になる」とは、「受け入れて軽くなる」と言うのが近い様に思います。
努力も忍耐も希望も必要なんだけど、なんでも「過ぎたるは及ばざるが如し」。「ちょうどいい」の按配は難しいです。
沢山の事を望み、叶った事もあるのに、叶わなかった事を思い不足に思うものです。
言いやすいから甘えてしまう
そんな時、不満(欲求)は、目の前に居る身近な人に向かうことが多い。言いやすいから?甘えがあるから?
どう生きたい?は「自分の心次第」ということを直ぐに忘れてしまう。
自分を助けるのは自分
「自分を助けるのは自分!」という事を忘れないでいようと思います。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
「父母ヶ浜」という名前も「写し鏡の景色」も、この内容にちょうど良い場所の様に思いました。
父母ヶ浜は香川県西部の瀬戸内の海水浴場です。
いつかウユニ塩湖に行ってみたいと思いますが、こことは全然違うような気もします。