子どもの頃に苦手になった造形に挑戦。
家の近くに市民大学があります。去年の春から粘土細工の講座に参加しています。そこで2体めの彫像が完成しました。
これです。女の子に見えますか?
コロナで休校になる事が多いので、月2回の講座がほぼ半分以下の開催回数になっています。
講座初日には道具もなく、なにをして良いのかもわかりませんでした。
何年も通っている人達はそれぞれ自分が作りたいものを作っていました。
写真や見本を持参し、先生から粘土を購入して作るモノはサイズも何もかもみんなバラバラ。
本当にみんな楽しそうに作っていました。
どうしようと迷っていると周りの人が必要なことを少しづつ教えてくれます。
先生に道具を借りて、粘土を買って、席に戻ってため息。
どうしよう?なにを作ろうかな?
行く前にきちんと決めておけば良いものを、なにも準備せず、いきなり参加したのです。
周りを見渡しながら、途方に暮れていました。
その時、以前見た可愛い天使の顔の小さな彫像のことを思い出しました。そうだ!
(これが記憶にあった彫像です。)
いざ作り始めてみると思った以上に難しい。手のひらに乗るくらいの小さな天使の顔を記憶のままに作ろうとしても全く出来ません。
まるで別物にしかなりません。
ちぎって、丸めて、伸ばして、くっつけて、削って、、、。
「ふぅ、、、、。」
周りの人の作っているのを見たり、真似たりしても、どうしてもまともに出来ずにいました。
先生が回ってきてくれました。
粘土を丸めて台に固定したものの、丸いボールの上に凹んだ穴や出っ張りや左右にくっ付いた髪の毛の様なものに先生に手が入る。
目はね、こうやってくっつけていくんですよ!
頬はこの木を使って少し削って、、、と一つ一つお手本を見せてくれました。
すると先生の手の中から全く別物の、顔らしきものが出来上がっていくんです。
驚きました。どうにか顔が出来ました。
でも小さな子どもの顔には見えません、
次に出来たのがこれです。
横顔です、
苦手になった理由。」
小学校の時、白い四角い石膏を削って、握りこぶしを掘り出す授業がありました。
立体を削り出す?間違って削り落したら終わりです
出来上がったかどうかの記憶がないのでうまく出来なかったのでしょう。以来、彫刻と聞いただけで目を背けていました。
学校の図画工作の授業は一向に好きになれませんでした。
なのに、今はアート大好きです。
というか、存在や日々がアートなんじゃないか?とも思います。
今思えば、NYに行ってから美術館などに行くのが好きになりました。
友人のクニさんに初めてメトロポリタンを案内して貰った時、ほとんどその凄さがわかっていませんでした。
観たこともない名画の数々をこれでもか!と展示されたその広大な空間は全く知識や経験がない私には吸収しきれず、too much だったのです。
それがだんだんと身近になり、気づいてきました。
そこに置かれたアート作品たちはその空間と共に私を日常から切り離してくれることを。
だから、そういう場所が好きになり、どうしてアートと呼ばれるものを人が称賛するのか理解出来た様に思います。
作品の良し悪しなどわかりません。ただ好きか嫌いか?惹かれるか惹かれないか?それ以上も以下もありません。
この歳で自分がこんなふうに物を作ったり絵を描こうとしだすとは思っていませんでした。
昔何度かやりかけてはみたものの、挫折したからです。
でも今は、やりたいからやってみる。出来たら嬉しい。とてもシンプル。
以前は可能性のないことは無駄な事、とどこか思っていたのでしょう。
今回の2作目は少し可愛らしいのですごく嬉しい。
前回よりも子供らしくなっています。
次はもっと小さな子どもの顔に近づけるように頑張ります。
これからも少しづつ続けて作っていこうと思います。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
大三島の山頂からの景色です。