今日こんな映像を見つけました。
(オリーブの映像を見つけたわけじゃありません)
スイスにある全寮制の学校の夏のサマースクールに行く全日空が始めているサービスのコマーシャル映像です。
そのボーディングスクールの名前は、TASIS!と言います。
懐かしい!
20年ほど前、当時yahoo検索で海外の情報はで見つけられなかったので、yahoo USやyahoo Europe で スイスのサマースクールを探し、自分で手続きをして、2人の子どもを連れて行きました。(業者さんにお願いすると安心ですが2倍近くの価格になります。)
はじめてのヨーロッパでした。
私が行けない場合に備えて、学校が迎えに来てくれるマルペンサ空港まで関空からの直行便にしました。
はじめて訪れたルガノは、湖水地方のとても美しい街でした。
https://www.myswitzerland.com/ja/destinations/lugano/
どうしてスイスにしたのかというと、期間が夏休みに合わせやすいこと。
年齢が離れた兄妹でも、同じボーディングスクールに行けるから。
7歳から11歳までの次男、長女向けのコースと12、13歳の長男向けてのコースとあるから。14から18歳までのコースもあります。(後に娘が14歳でこのコースに参加)
(2020年は残念ながら、サマースクールは中止です。)
年明けからサマースクール情報を探し、学校を選び、手続きし、その後、渡欧の準備に挑戦。
その間、ネットの前でほぼ毎日数時間費やしていました。
(その後、年々希望者が増え、短期間で満員になり始めました。)
事前に各自の衣類用のナンバータグが送られて来て、子どもの衣類に一つ一つ手縫いで縫い付けました。
子どもの状態も詳しく訊かれ、英文の健康診断書に学校の成績証明書まで準備する様になっていました。
最初の時、万が一、私が連れて行けなくてもジュニアパイロットで行ける様に航空会社も細かくチェック。(直前の変更は無理だと思います)
翌年は、娘だけが行くことになり、一人では心配だったので、タシスで知り合った2つ歳上の女の子を誘って、二人でジュニアパイロットで行くことにしました。
手続きやエア等も一切代行しました。彼女の希望で今度はジュネーヴの「ルマン」に行きましたが、小さい子にはタシスが良いと思いました。
ルマンは、毎週入学出来て、期間も自分で設定出来ますが、その分お友達との関係の作り方が難しい様に思いました。
娘の3回目のサマースクールは中学生の時でした。
ジュニアパイロットも年齢的にお願い出来ないし、ひとりでは乗り換えが不安だったので、再度私が連れて行きました。
(タシスとルマンしか知ませんが、ロゼに行った友人のお嬢さんのお世話で一度ロゼにも行きました。雰囲気良かったです。)
私はタシスが良かったと思いましたが、それぞれに良さがあるのだろうと思います。
タシスのサマースクールに行った後、タシスに本格的に留学する子もいましたが、タシス以外のスイスのボーディングスクールに行く子も何人もいました。
その後は、イギリス、カナダ、アメリカへと進む子が多い様です。
その後、オーストラリア、ニュージーランドのサマースクールの話も聞きました。
息子はサッカーのクラブチームにいたので、レギュラーを外されたくなくて、その後は行来ませんでした。
後日、本当は行きたかった!と告白。
成人後、当時お世話してくれたタシスの学生だった男の子と息子がインターンシップで行ったアメリカで知り合った男の子が、偶然にもお友だちだったことが判明。東京で3人で飲み会をしていました。世界は昔に比べてグッと近くなっているのでしょう。
娘もルマンで一緒だった元プロサッカー選手のお嬢さんと大人になって連絡を取り合っていました。他にも消息のわかる女の子が2、3人いるようです。
2人の子どもたちがサマースクールの間、パリの友人宅をベースにさせて貰うことにして、サマースクールにキャンセル待ちで行けなかった場合の長子とどう過ごすか考えなければいけませんでした。
定員一杯で行けなかった(1番行かせたかった)子を連れて夏スキーやトレッキング、温泉行きのプランを計画。
それ以外にも、以前から面識のある作家さんのルルドや教会の巡礼地ツアーに現地から参加することにしました。
(当時、ルルドに行きたいと思っていても、旅行社の方がルルドを知らないし、教会以外の一般の方がルルドツアーを探すのは難しかったのです。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%89
なのに一番連れて行きたかった子は、出発直前に「行かない!」と言い出して、結局ドタキャン。
公文のスイス校も一人で見学に行きました。
当時、成城学園もスイスに分校がありましたが、地元のボーディングスクールとは少し違ったのではないかと思います。
よく迷わないであちこち一人で行けたと思いますし、今思うとよくやったなぁと思います。必死だったのでしょう。
パリの友人の他に昔からの友人達のサポートがあって、そんな贅沢な旅で沢山の経験をさせて貰いました。
人生いろいろ大変な事もあるけれど、有り難い事も沢山ありました。
うまくいく事の方が少ないと思うのですが、子どもたちも沢山の出会いや経験を通して、現在があリ、未来に続けていくのでしょう。
もうすっかり大人になった子どもたちと最近タシスの事を話す事もなくなりましたが、タシスが今も好きだと思います。
昔に比べて、海外の人たちに触れる機会も格段に増えました。
どうせなら、仲良く一つになれるといいのに!と世界の紛争などの悲しいニュースを聴くと思います。
英語が話せるといいのですが、、。
今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。