私の育った田舎では、子供たちの日々の遊びの中に、土筆、蕨、木苺、グミ、梅桃、筍、蕗、etc、とにかく自然が豊かでした。
取り立てて有名な場所でもない、ごく普通の日本の田舎でした。
親の職業も、サラリーマン、公務員、自営業であっても、兼業農家のような家庭が多く、祖父母のいる家庭が多かったです。
子供たちは、遊びの中で自然のものを採ってくることが多く、日々の食卓にそれが上ることも珍しくありませんでした。
土筆は特に身近にあって、ほぼ、毎日採っていました。
袴を取るのが大変で苦味があるのですが、卵とじが大好きでした。
なので、この時期にはどうしても土筆が食べんたくなりますので、産直市場で時々買います。
田舎育ちだと、「土筆を買う!」という発想は以前はありませんでした。
よく考えるとイチジクも筍もそうです。イチジクの木があったし、近所の畑にはどこでもイチジクの木が植えてあったので、「買う」なんて思ってもいませんでした。
少し伸びた筍は、子供達のチャンバラの道具になっていました。勝手に取っても、怒られたことはありませんでした。
今では、時々頂くこともありますが、土筆もイチジクも筍もほとんど買うしかありません。
そう思うと、昔はなんて豊かだったんだろう!と、思うのです。
昔なかったものが、今では沢山ありますが、それがあって便利になっていることは多いのですが、それと引き換えに失くしたものも多いと思います。
我が家もこどもたち全員が土筆の卵とじを好きかというと、そうではありませんが、
それでも、「あ、土筆だ!」と喜んで食べる子もいます。
いつまで、味の記憶を伝えられるかわかりませんが、伝えていけるといいな。と、思って毎年作ります。
今年も土筆の卵とじ、せっせと袴を向いて作ります。