私には、もう18年近く付き合いのあるフランス人のお友達がいます。
パッケージのひとつは彼女からのプレゼントでした。
彼女と出会ったのは、京都の今でいうゲストハウスのような宿でした。
当時彼女は22、3歳で、大きな荷物を担いだバックパッカーでした。
宿で、朝食を食べている時、彼女も同じリビングで朝食を食べていました。
お互いに、買ってきたパンにインスタントコーヒーという質素なものでした。
このパンは東京の赤坂で買ったパンで、毎朝一枚食べて、これは最後の一枚なのよ。と流暢な英語で話してくれましたので、すっかりアメリカ人だと思い込んでいました。
けれどもそのうち、私はフランス人よ!というのです。
サウジアラビアのインターナショナルスクールで育ったから、英語も喋れるんだと彼女は教えてくれました。
やれやれ、英語も心もとない私がフランス人となんて話す機会は絶対ない!と思っていたのに、こういうこともあるんだと驚きました。
私は当時、編入した大学のスクーリングに通うためにそこに滞在していたので、彼女は日々、観光したことを話してくれました。
そのうちに、もう一人、アメリカ人のバックパッカーとも友達になって、3人でよく話すようになりました。
ある日曜日に、スクーリングもないので、3人で東大寺に行くことになりました。
それぞれに都合があったので、同じ宿から出発するのにバラバラで、現地集合です。
二人は流暢な英語で会話してるので間違いはないのですが、私の英語はとても怪しいので東大寺についても、本当に会えるかしら?と少し不安でした。
それが、行ってみると3人が揃ったのです。正直びっくりしました。
話が通じてたんだ、、、と、実はほっとしました。
彼女は大きなバックパックを駅から担いで来ました。翌日帰国する彼女は、もう日本円に換えることなく、持ち合わせの日本円で過ごそうと考えていたのです。
食事に誘っても、大丈夫、私はディナーを持っている!と見せてくれたのは、コンビニの白米。
ご馳走すると言っても、頑として受け付けないのです。大丈夫だから!と。
びっくりしました。
諦めて、東大寺の知り合いのお坊さんにバックパックを預けて、3人で東大寺を散策しました。
それは、とても楽しい1日でした。2月堂、開山堂、3月堂、と順に降り、大仏殿では、鼻の穴と同じサイズの穴をくぐったり。
訳のわからない身振り手振りの英語でも、みんなちっとも構わないのです。
http://narashikanko.or.jp/event/index.php?m=d&id=37
その後、彼女はパスを使い、京都経由で関空へ向かい、、、彼は近鉄で京都に戻る。どちらも、お互いのペースで動きます。
私は、何もできないけれど心配で、一緒にJRで京都に戻り、はるかに乗り込んだ彼女を見送りました。
早朝の飛行機なので、空港に泊まるというのです。
どこまでも、ワイルド!
すごいなぁと、内心驚きました。
そんな二人と、その後今日まで、親交が続くとは思いもよらなかったのですが、ご縁とは不思議なものです。
新しいお店にと、彼女が可愛いキッチン用品を送ってくれました。
今では、3人の母になった彼女と、家族ぐるみのおつきあいになっています。
私たちが出会ったのは、「Tani house」という、外国人のガイドブックには必ず載っていたというゲストハウスでした。
http://international-guest-house-tani-house.kyotohotelsjapan.net/ja
見かけは気難しそうなおばちゃんがやっていたのですが、この頃から、こんな宿もいいなぁ、、、。と漠然とした想いがありました。