引越しがやっと終わり、日常にもどって間もないのに、またも所用で上京。
以前からの「沖縄と首里城に行く!」というミッションも果たしました。
なぜそれがミッションなのか?は、とても個人的なことなので置いておきます。
今回は、「自分にもお財布にも優しく 沖縄に行こう。」という事にも挑戦しました。
先ず羽田から那覇への格安チケットを探しました。
スカイマークが断然安く、変更は効きませんが、3日前で結構安いチケットを見つけました。羽田ー那覇が10800円です。
戻りは、高松なので、同じスカイマークの神戸便を探しました。
那覇ー神戸、9000円程でした。
税込み、往復で20090円でした。新幹線で東京と高松往復よりも安いので、なかなか良いでしょう?
もちろん、機内預けの荷物も20KgまでOK。
それから、レンタカーです。
これは、前日までに予約すべし!をぬかってしまいました。
当日、空港のレンタカーカウンターなんて、最悪!です。
どこが安いか、教えてくれない。
「ご自分でパンフレットから選んでください!こちらは、そのお手続きをします。」とのことでした。
一番安いパンフレットを選んで差し出すと、ざっと計算してくれますが、パンフレットの価格プラス保険等で、楽天トラベルで前日までに見ていた価格よりも、6000円ほど高い。
楽天トラベルは当日ではもう予約できません。当日でもネット上から借りれるとなると、予約は2時間後からなので着いてからだと時間の無駄ですから、前日までの予約が必須です。
結局探すために3時間ロス。借りる場所もモノレールに乗って、おもろまち駅にある免税店の2階。
那覇空港着後、荷物を取って、12時前に空港のレンタカーカウンターへ着いたのに、結局ネットでレンタカーを探し、予約出来たのが12:40分。予約時間はおもろまち駅のカウンターで15:00から。
けれども、移動時間を含めて(実際に手続きを終えて出発まで14:30には出発できました。)
荷物を持って早速移動。カウンターに到着後、予約段階で3泊4日で11000円。プラス、休業補償もつけて13700円。
車種は日産のノート?綺麗でしたが、ナビが使いにくかったです。オーディオなし。でも、FENが聴けました。
ここまでのモノレール代が300円ほど。
事故を起こした時の「休業補償」の保険までかけての金額なのでヨシとしました。
空港デスクで諦めて借りるより良かったので。
初日の宿は、クリスチャンの友達の教会の祈祷院。一泊2500円。教会イベントの後ナビで行きました。
恩納村にあり、素晴らしくアメリカンなのですが、たった一人じゃ淋しすぎるので、翌日は女性専用の北谷のゲストハウスを二泊予約。
ブッキングコムで、2泊だと出てくるが1泊だと出てこない。連泊が条件の様なので仕方なく2泊予約。そこもゲストは私だけ。
ここは本来のホストである奥さんが東京に行ってて、ホストは旦那さんだけで朝は仕事に行って誰もいなくなるので顔を合わすことなし。
一泊3000円、しめて6000円。キッチンカウンターがあるが、実はカウンターの後ろに流しが無い。張りぼてみたいだ。
容器は洗面所で洗うしかないし、ガスなしなので調理は出来ず。周りは住宅街、買い物は車でないと行けない。
駐車場は自宅のガレージ。宿の主人が路上駐車。部屋は定員4名。宿の許可証あったけど、、。お掃除なし。
シャワーの横に洗濯機。無料。干す場所なし。つまらなかった。
最後、那覇のゲストハウス。
実は、ここが一番居心地が良かった。
(ごめんなさい。神様。)
ここが一番私がいつも行くようなゲストハウスだったのです。しかもなんと、一泊1200円。ウッソ〜〜〜!?本当!!
国際通りからちょっと入ったところで、隣には天然酵母のパン屋さん。すぐ近くに色々なお店がありそうでした。
階段が重い荷物には辛いが、仕方ない。元気な間しか使えない宿といえるかも。
調味料も揃ってて、フツーに自炊可能。男女別々の部屋で、各4名くらい。
倉庫を改装した感じで全体的にゆったりスペース。洗濯機、物干し完備で、ここをベースに働いてるウチナー(内地の人)もいた。
これだよー!やっぱりゲストハウスって!って感じでした。
ビルの谷間でちょっと陽当たりが悪いのが玉に瑕でしたが水が良いのかシャンプー剤いつもと同じなのに髪の毛がサラサラ!驚いた。
最寄りのモノレールの駅は県庁前。歩いて10ー15分と、重い荷物で少し時間がかかるのが難。
はじめは、朝8時に空港近くの営業所に返却して、空港まで送迎付きでしたが、朝、慣れない道でラッシュなどで遅れるのはストレスなので、おもろまち駅営業所に前日の夜8時の営業時間内までに返却。
結局、スカイマークの航空券の裏に付いてた割引きクーポンで500円引きの上、返金でレンタカーレンタルは休業補償付きで11200円也。
返金2000円程ありました。この選択で宿代でましたから。
初日は、友達のやっている子供食堂の見学、参加。
行政任せでは、臨機応変なきめ細かい対応は難しいのかもしれないと感じました。
二日目は、午後から水族館へ。
夜は、友人と合流、女子トークとお店のこと。散々食って、喋って、、、解散。
3日目はミッション。首里城巡り。13,4年くらい前は城内も今ほど修復されておらず、後ろの御嶽(うたき)も誰でも勝手に入ってよかったし、人も少なかったのに、今は平日でもゾロゾロ、駐車場もいっぱいでした。
しかも、御嶽(うたき)には入れないし、韓国や中国の言葉が飛び交っているので、びっくりしました。
城内はどんどん修復され、琉球王国と首里城が輝きを取り戻しているようでした。
その後、ヤンバルまで足を伸ばして、友達の上司が勧めてくれた日本そばと天ぷらのお店に行きました。(実はすごく遠くて、1日に何キロ走ったのか?ちょっと疲れました。)
そのお店は、ヤンバルという本島の北部にあり、自然がたくさん残っています。
山の上の方は本州と同じような松が生えていて、蕎麦屋もヤンバルでソバを栽培してる、本格的な蕎麦屋さんでした。
なかなか、お蕎麦も美味しかったのです。
びっくりしたのが、もうそろそろ結構です。と、いうまで、天ぷらが出てくるのです。
はじめに、フーチバー。ヨモギの天ぷらから始まって、島らっきょう、たらの芽、ごぼう、エリンギ、島らっきょうの芽の部分と玉ねぎのかき揚げ、人参、ゴーヤ、もやし、エトセトラ、、
とにかく11品まではカウントして、食べ過ぎた感じで蕎麦へ。
お腹いっぱいです。
そのお店では島バナナを販売していたので早速二人とも買って帰ったのですが、那覇空港では島バナナ3本で950円ほどの値段が付いていました。
私たちが買ったのは、それで計算すると4000円ほどになります。どうしてそんなに高価なのか?まだ色づいてないので、食べていませんが、どんな味か楽しみです。
(高松に持って帰ってからはちっとも熟れなくて、結局食べれませんでした。高い買い物で終わりました。)
その後は、初めてゲートの中に入りました。そう、アメリカの基地です。
基地の中で、新しい兵隊さんに日本語を教えたり文化交流をするボランティアを友達がしてるので、一緒に連れて行ってもらいました。
沖縄に来てまだ二週間ほど、という若い兵士で、女性もいました。皆、自分の考えをはっきりと述べます。まだ大学生くらいの年齢なのにしっかりとしてるように感じるのはなぜだったのでしょう?
四日目は、5年ほど前に訪れた宮城島へ。この島は、アメリカ軍の石油備蓄と引き換えに、本島と橋でつながった島です。宮城島からそれぞれ二つの島が橋でつながっています。今回は、その隣の島の美ら海山羊牧場が目的でした。
搾りたての山羊の乳を飲むためとその牧場の環境を見るために。
目的の、山羊牧場の見学は叶いましたが、乳は飲めませんでした。子供がたくさん生まれたので販売するほど乳が残らないのだそうです。足りないくらいだそうです。
生まれていた山羊の子どもがとても人懐っこくて、可愛かったです。
そこにはたくさん月桃が群生していたので、月桃の葉を切って帰りました。月桃茶にしたら美味しかった。
うまく言えないのですが、本島とも宮城島とも空気感が違いました。
もっと時間がゆっくりと流れてる様でした。
この島には、興味深い男女の神様が祀られていて、アダムとイブ?のような印象でした。
その後に、友達の紹介で沖縄の元大物ユタの女性にお会いしました。
皆さんいろんな人生を歩まれていて、今では敬虔なクリスチャンです。沖縄には教会が多いのだそうです。
ユタもいろいろな人がいるそうで、その存在は沖縄の明るい文化ではなさそうです。
目に見えないものの存在はあるのでしょうが、それにあまりにも支配されたり依存したり、そんなことで苦しむ人たちも居るそうです。
最後は、レンタカーをギリギリに返却し、友達にゲストハウスまで送って貰い、一緒にご飯を食べて別れました。裏手のテントだけのカウンターバー?のお店が、可笑しかった。(写真が無いのが今も残念です。)
翌日最終日は目覚めた時に時計の数字を見間違えて、どれほど焦ったことでしょう!
フライトが10:10分なのに、那覇の宿で8:45分起床。青くなってベットから飛び出して、スーツケースに残りの荷物を放り込んで、頭の中で、どうやっていくのが1番早いか?を考えながら、、、、
もう一度携帯の時間を見ると、?6:45分。
ひとり旅で一番緊張するのがこれ!早朝のフライトに遅れないこと!
誰も起こしてくれない、取り返しがつかないことです。
一息ついて、買い置きの朝ごはんのパンをかじって、コーヒー飲んで、出発。
「さぁ、帰ろう。またね。」
沖縄に来て、一度もビーチを歩いてないので旅というより日常の延長だったように感じます。
それぞれの場所が持つ特有な「空気」を感じて、そこに居ることで自分の中のアンテナがいつもと違う何かを受信し自分に取り込む。
ぴったりするやり方で各人がtabi を楽しむ、これからはそんな時代の様に思う。
それを可能にする宿を作りたい、どうすれば出来る?と当時思っていました。
ミッションは果たしたものの、当時の想いは実現していません。
コロナは大きく社会を変えていますが、このあとはどんな社会になるのでしょう?
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございます。