山口県の祝島と香川県豊島、この二つの島を偶然知ることになったのは随分前,2011年のことでした。
(※写真は瀬戸内カヤック横断隊、隊士のFBより引用させて頂きました。)

生活の糧となる漁場が望まぬ原発建設予定地になったり、個人の営利目的で自分達の島が魚もメス化して住めない様な場所になりかけ(1980年代ゴミの島で有名になった)、生活を守ろうと行政に訴えるも県の方では島は守られなかった。
両島とも大きな力に対して自分達の意志と努力で協力して立ち向かった歴史を持つせいか、それまで気づかなかったけれどどこか他の島とは違う様に感じた。
丁度豊島の文化財を管理運営していた友人に、この二つの島が何かで繋がると良いのに!と言うと、もう繋がっているよ。と教えられたのが瀬戸内カヤック横断隊の事でした。
早速彼女に横断隊と繋がりたいと問い合わせると、横断隊がそろそろ1週間の航海?旅を終えて、祝島に到着すると言う。

祝島にも是非行ってみたかったので、横断隊が島に到着するのを迎えに行った。それが最初の横断隊との出会い、第10次瀬戸内カヤック横断隊だった。
祝島とカヤッカーの数人は反対運動を通して繋がりがあるので横断隊の活動は島の人たちに受け入れられ、とても良い関係の様だった。
1週間の旅を終えたメンバーは各自のカヤックを浜に並べると順次ボランティアのお宅で入浴を済ませ、島の集会場に集まった。
10次は30人以上いたと思う。
食事の準備も島の人やカヤッカーたちの協働だったと思うが、達成感と解放感と、なんだろう?
とてつもない熱気が渦巻いていた。一升瓶やビールが山と積まれて、既に酒盛りも始まっていた。
普段そんな環境にいないので、少々面食らったのを覚えている。
海上は結構厳しい気象条件だし、流木を集めて暖を取り、毎食自身で調理し、ゴミも何もかも持ち帰る。一緒に過ごした仲間との連帯感も育つだろうな。足りないものも何もかも分け合い、協力してるんだろうな。
彼らは全く個人個人が自分で決めて、準備をして、隊長か副隊長あたりと個人的に連絡を取り合って、予定の日時と場所に集まって出発。
隊長や古参の隊士は、各役所に申請を出して基本的な準備をするが、後は自分で!が原則。
来るもの拒まず去るもの追わず、なんだろうな。
全行程参加できない人は出来る日程だけ、隊の現在地と予定を把握し、ひとりで合流地点に向かう。離脱もここで、と決めたら1人分かれて漕ぎ去るのだそうです。

艇も移動の足も段取りは全て各自の采配。
鮮やかなくらい徹底して自己責任。
決まっているのは日程と出発地と目的地だけ。
天候次第では到達しないかも知れない。だから予定した通りに行かなくても、また自分で決めて動くだけ。
これで集まったメンバーが1週間一緒に漕ぐ。
毎日リーダーは交代する。風や潮流を読み、最適なコースを辿れるかどうか?はリーダー次第。
こんな実践の学びの場が他にあるだろうか?というくらいに感じたものです。
例えば、神奈川から参加の人の場合。まず車に艇を乗せて山口の祝島の渡船場の集合場所まで来る。
そこから島まで艇を運ぶのだが、誰かがそれ用の船を頼んでくれてみんなの分まで運ぶ。もしくは、そこから島まで自分で漕いでいく。
出発は翌日、祝島から。
1週間目に目的地に着こうが着けまいが、天候によるによる。辿り着けたところで終了。場合によっては打ち上げ。なければ解散。
それから公共交通機関などを使って、駐車場までなんとか乗り継いで戻る。
それからまた、艇を取りに到達地へ戻り、積み込んで神奈川まで自分の運転で帰る。
10次以降、近くを通る時何かのサポートをさせて頂くのが私の恒例行事。
こんな冒険は体力的に無理だけど、頑張ってる人を応援したいから。
旅もブレない自分がなきゃ出来ないと思う。
そういう人たちだから一週間一緒に漕げるんだと思う。
昨夜は皆既月食が綺麗に見えた。
今夜も雲ひとつない空の月夜だった。
横島の横山海岸は私の好きな海岸。その奥まった場所が横断隊の野営地。
7、8年前もそうだった。車を停めてから探すのだけど、灯りひとつ見えない程奥まった場所に今年もいました。
初めての隊士から20年続く二代め会長と老隊士まで、様々。
ありあわせの差し入れをひとりで運ぶ。多分居るはず、だけど多少不安もあった。事前に連絡など取り合っていないから。
やっと辿り着けたら灯りが見えてホッとした。
顔見知りの人達と一年振りの再会。
無事今年も会えたな!と安堵した。
求められてる訳でもない。勝手に自分がやってる。でも明るく懐かしく迎え入れてくれる。

今日ほど暖かく、綺麗な月夜はなかった様に思う。
残り数日、無事事故なく漕ぎ切って欲しいと祷ります。。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
